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お知らせ(125件)

修善寺紙 紙谷和紙工房

伝統ある修善寺和紙を復活させたい

 伊豆市修善寺の紙谷地区で作られていた上質な和紙『修善寺紙』は、三椏(みつまた)、楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)と「ねり」の材料トロロアオイを原料とし、横縞のとおったすだれ目と薄紅色が特徴の非常に薄い上質の紙でした。

修善寺紙は古くから全国的に名が知られており、明治時代までは漉造されていましたが、洋紙が輸入され重宝されるようになると、大正に入ってからは和紙の需要がなくなり、生産が途絶えていました。 

しかし、この歴史と伝統のある修善寺紙をなんとか再現させようと、昭和60年(1985年)に有志によって修善寺紙再現の会が発足され取り組んできましたが、有志会員の高齢化により、平成後期に一時休止となりました。

そして令和になり再び有志の方が集まり、紙谷和紙工房を復活させるため活動を始め、和紙を作るだけでなく、今後は紙漉きの体験ができるよう尽力されています。

また、紙谷地区のそばにある修善寺小学校の卒業証書は、児童がこちらの工房で自ら漉いて作っています。

修善寺紙の原料の三椏(みつまた)
修善寺紙の原料の三椏(みつまた)
今後は紙漉き体験も行なう予定
今後は紙漉き体験も行なう予定

修善寺紙の紙漉きは冬だけの作業

原料の三椏の樹皮
原料の三椏の樹皮

 修善寺紙の原料は、主に三椏(みつまた)という植物の樹皮を加工して細かい繊維状にしたものを水に溶かし、それを簀桁(すけた)という道具を使い漉いていくのですが、紙の繊維は水に溶かしただけでは均一な状態になりません。これを均一な状態にするために「ねり」の材料としてトロロアオイ(別名:花おくら)を入れます。

トロロアオイの根を水につけておくと、トロッとした成分が水に溶けだします。これを混ぜることで紙の繊維が水の中で均一に混ざり、紙を漉やすくします。「ねり」は接着剤ではなく、繊維を均一に水の中に広げさせる役目と、原料液が簀の上に長く留まることで、簀桁をゆすって紙の繊維をうまく絡ませるという2つの役目があります。

ただ、このトロロアオイのとろみ成分は気温が高くなるととろみが弱くなるため、修善寺紙づくりは冬の時期(11月から3月)だけの作業となります。

 

トロロアオイの成分が溶け出したトロリとした「ねり」
トロロアオイの成分が溶け出したトロリとした「ねり」
和紙の原料に「ねり」のトロロアオイを加えよく混ぜる
和紙の原料に「ねり」のトロロアオイを加えよく混ぜる

紙づくりの里には いい水がある

紙づくりにはたくさんの「水」が必要になりますが、まさに水の恩恵もあり、修善寺紙が栄えてきました。

 和紙作りの原料の植物を大釜で煮る、水にさらして表皮を剝ぐ、たたく、皮がきれいになるまで何度も洗う、たたいて白い繊維状にしていく。紙づくりの作業には大量の水が必要になります。

修善寺紙紙谷和紙工房のある修善寺の紙谷地区には、狩野川支流の修善寺川(桂川)があり、また井戸水も利用して紙づくりを行なっています。品質の良い修善寺紙を支えてきた修善寺の水は、和紙作りに適した水質なのでしょう。

古い歴史があり上質な紙として知られていた『修善寺紙』

色よし紙と呼ばれ江戸幕府に奨励された
色よし紙と呼ばれ江戸幕府に奨励された

修善寺紙の起源ははっきりとはわかっていませんが、その歴史は古く、『濃染紙・厚染紙(読み:こぜんし・こせんし)』とも呼ばれていました。

1010年頃に書かれた『紫式部日記』には「暗うなりにたるに、たち帰り、いたうかすめたる濃染紙に」という記述が、また鎌倉時代に成立したとされる軍記物語『平家物語』にも「五節には、『白薄様、こぜんしの紙(濃染紙)、巻上の筆、巴かいたる筆の軸』なんど云ふ」と、修善寺紙の事ではないかと思われる記述があります。

そのほか、源頼朝の旗揚げの糸口となった、源氏系の武将に送られた『以仁王※2の令旨(治承4年(1180年))』は、修善寺紙を用いたと言われていますし、江戸時代中期に書かれた『鳩巣小説』では織田信長の小姓・森蘭丸の本能寺でのいでたちを「白小袖に髪を修善寺紙の平元結※3にて茶筌髪に結候てかけ出で」とあり、かなり古くから上質な紙として広く知られていたことがうかがえます。 

なお、現在見つかっている信頼しうる最古の資料では、室町時代中期の文安元年(1444年)に出版された『下学集』に「修禅紙、坂東豆州の紙の名也、色薄紅也」とあります。この本は当時の百科事典のようなものですから、掲載されるということは、この時代以前には、すでに広く知れ渡っていたことがわかります。

 修善寺紙は厚手の紙や薄手の紙も漉かれていましたが、江戸時代に入ると五色(紅紙・朱紙・藍紙・薄様鳥の子・かすり紙)の紙を漉き、「色よし紙(色好紙)」と呼ばれていました。徳川家康は慶長3年(1598年)、修善寺紙の製造を行なっていた三須文左衛門に宛て、紙漉きに関する重要な権限を与える『壺型黒印状※1』を送り、公方紙(幕府の御用紙)として大いに修善寺紙を奨励しました。  


※1『壺型黒印状』伊豆市指定考古資料。慶長3年(1598年)3月、徳川家康から三須家のご先祖文左衛門が賜った壺型黒印状で、次のとおり記されています。

「於豆州、鳥子草、がんぴ、みつまた、何方ニ候共、修善寺文左衛門より外には不可伐、殊に火を付、紙草焼捨候者、其郷中可為曲事候公方紙すき候ときは立野、修善寺の紙すき候者共、手伝可仕者也」

(現代訳:「伊豆においては、和紙作りの材料の鳥子草、がんぴ、みつまたは誰であっても修善寺文左衛門以外は切ってはいけない。特に火を付けて紙草を焼き捨てる事は、ここでは違法になる。公方紙(幕府に納める紙)を漉くときは、立野や修善寺の紙すき職人に手伝わせてもよい。」)

※2『以仁王(もちひとおう)』後白河法皇の第三皇子。源頼政のすすめによって平家打倒の令旨(りょうじ)を伊豆・相模・関八州の源氏武将に宛て数百枚を発した。

※3『平元結』丈長の紙を細く畳んで作ったリボンのような形で、現代でいう髪留めやバレッタにあたる

※1 壺型墨印状
※1 壺型墨印状
体験では漉いた紙に草花で飾ることも
体験では漉いた紙に草花で飾ることも

紙谷和紙工房 お問い合わせ先

所在地  静岡県伊豆市修善寺1300
メールアドレス  washi.kamiya.shuzenji@gmail.com
紙漉き体験

 紙漉き体験は11月~3月までの期間限定です。

 準備が必要なため、2週間前までにご予約下さい。

 ※予約状況により、お受けできない場合がございますのでご了承ください。

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