加藤景廉一族の墓(かとうかげかどいちぞくのはか)

牧之郷・沖の原地区に6基の五輪塔があり、昭和33年の狩野川台風によって流されたものをここに集め祀ったものです。

地元では「五輪さん」と呼ばれ、加藤景廉(かとうかげかど)一族の墓と伝えています。

昔、この付近に金剛寺という大きな寺があったといわれ、天明5年(1785年)にこの墓の下から景廉の孫である善願上人(ぜんがんしょうにん)の蔵骨器(舎利瓶)が発見されました。この蔵骨器は静岡県県指定文化財に指定され、現在伊豆市資料館に所蔵されています。

♦加藤景廉 かとうかげかど (1166-1221)

平安末期から鎌倉時代初期の武将。藤原利仁(ふじわらのとしひと)の流れを汲む加藤景員(かとうかげかず)の子。元々は伊勢の国を本拠としていたが、源頼朝が源氏旗揚げの際、兄の景正(かげまさ)とともに伊豆に下り、狩野茂光(かのもちみつ)らの協力を得て土着勢力となった。
 治承4年(1180年)に源頼朝が平氏打倒のため挙兵するといち早く参じて平氏の目代・山本兼隆を討ち取る大功を立てた。
 以後、鎌倉幕府創設に献身努力し、頼朝から遠州浅羽、美濃遠山(恵那市とその周辺)、伊豆牧之郷等の所領を与えられ、岐阜県遠山地方の要衝岩村(恵那市岩村町)に城を築いた。
 後に嫡男景朝(遠山景朝とおやまかげとも)に城を譲り牧之郷に帰ると、源平の合戦で亡くなった人達の精霊供養のため、読経三昧に明け暮れた。
 承久3年(1221年)の承久の乱において、宿老の一人として鎌倉に留まったが、8月3日に没した。現在は、毎年8月3日に供養祭を行なっており、加藤景廉公を神として祀っている岐阜県恵那市・岩村町より関係者を招き、景廉公を偲んでいる。

伊豆箱根鉄道大仁駅~牧之郷駅の間の線路脇にある

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加藤景廉一族の墓 地図

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