横瀬八幡神社は、旧修善寺村の氏神として古来より厚く尊崇されている神社で、祭神は不詳、相殿(あいどの)は鎌倉二代将軍・源頼家公です。
元々は現在の場所より200mほど東側にある月見ヶ丘にあり、2体の古像がまつられた旧祠でしたが、のちに現在の場所に社殿を建立し、源頼家公の束帯(そくたい=公家の正装)の立像を作り、廟(みたまや)とし、八幡と称しました。
境内には、頼家公の母・北条政子の悪病平癒の伝説を持つ『孔門石(紅門石)』または『玉門石』と呼ばれる、女陰の石尊がまつられており、女性特有の病や子宝開運のご利益があると言われています。
祭礼は毎年10月19日(またはその近くの日曜日)に行われています。
2017年、道路の拡張のため境内の一部が削られた際、鳥居と神橋が撤去され新たに鳥居が奉納されました。撤去された鳥居と神橋は本殿の横に置かれています。
横瀬八幡神社の狛犬さんは、一般的な狛犬と形が異なっており、カエルやナマズのような風貌をしています。
台座には『奉納宝暦十三年十一月吉日』とあり、1757年に奉納されたことがわかります。
この狛犬は、当時の石工が狛犬を見たことがなかったため、口伝のみの想像で彫られたものと言われています。
とてもとぼけた顔をしたかわいい狛犬ですので、ぜひ立ち寄って実物を見てみてください。
【孔門石のいわれ】
北条政子が修善寺に湯あみに訪れていた際に女性の下の病に罹り、鎌倉から名医を呼び寄せたが、政子の侍従から「奥殿の扉を開けてはいけない、手も触れてはいけない」と、申し付けられてしまい困った医者が苦肉の策で、糸の端を政子に持ってもらい、その動きでなんとか病を特定したが、今度は薬を塗る場所をどのように説明したらよいかと困っていたところ、神夢のお告げがあったという横瀬八幡神社の神主が、女陰の石尊を医者のもとへ持ってきた。
医者がその石に丹粉鉄の3色(丹は赤、粉はおしろい、鉄はお歯黒)を塗って薬を塗る場所を指定し、政子が承知し従ったところ、たちどころに病が治った。
それ以来、この石は女性特有の病、子宝開運のご利益のある石として祀られています。また、石は人の手で彫られたものではなく、自然石であることも伝えられています。
現在、修禅寺山門に納められている2体の仁王像は、かつては「なめど」という地(現在のカインズホーム修善寺店付近)にあった修禅寺総門に安置されていました。明治の初め頃、総門が無くなる際に近くの横瀬八幡神社に移されていましたが、ある老婆の夢枕にこの仁王像が出て「修禅寺に帰りたい」というので、指月殿に納めたと伝えられています。仁王像は、さらに2014年の山門修復工事完了の際に、指月殿から修禅寺山門に移されました。