天城神社は『増訂豆州志稿』に「応永2年(1395年)重修ノコトアリ」と記されており、1395年には既に天城神社が祀られていたことを示しています。この記載の基になった棟札はすでに失われているものの、「湯ヶ島村」の村名も記されていたと伝えられています。
天城湯ヶ島で幼少期を過ごした文豪・井上靖の自伝的小説『しろばんば』に、子どもたちの遊び場として天城神社が登場しています。
【明和の絵馬】天城神社に奉納されている大絵馬
杉板を3枚張り合わせた大型の絵馬で「奉納御宝前 明和二年(1765)三月吉辰 河内氏□□ 印」の文字が記されています。
[江戸と湯ヶ島村のかかわり]明和時代の湯ヶ島村は、紀州尾鷲から炭焼き市兵衛を招き、木炭製法を学んだ為、その炭が江戸城の御用炭となったり、江戸へ出荷される椎茸やわさびなどの産物を通じて江戸との交流が頻繁になった時代です。そのため、この神社に残る数多い絵馬の中に、江戸の商人が奉納したものが見られます。
【お宮の椎の木】平成2年伊豆市指定文化財(天然記念物)
天城神社境内周辺の椎の群落のうち最大のもので、平成2年(1990年)に神社庁よりご神木としての指定を受けました。目通り(周囲)約7.7m、樹高約18m、推定樹齢800年以上の古木。
天城神社の狛犬さんは、身体だけを見るとカエルのようなちょっと変わった風貌をしています。
台座には「明和二乙酉歳五月吉日」と彫られており、「明和の大絵馬」が奉納されたのと同じ1765年に奉納されたことがわかります。阿吽の狛犬2体は向き合っておらず、ともに左向きで、天城山の方向を向いています。
似たような風貌の狛犬が、伊豆市修善寺の横瀬八幡神社にもありますが、関わりがあるかは分かっていません。
【狛犬の昔話】
むかし、肩を痛めた旅人が湯ケ島に湯治に訪れ、その際に世話になった村名主へのお礼なのか、川谷から担ぎ上げてきた大きな3つの石で、2体の狛犬と弘法さんの石像を彫っていました。その旅人が姿を消すと、村はずれの道端の松の木の根元に弘法さんの石像ががちょこんと座っており、天城神社の本殿前には狛犬が、2体とも同じ方向(天城山の方向)を向いて据えられていました。
その当時は天城山に棲む山犬に群れで襲われる被害があったのですが、天城山の方向を睨んだ狛犬が奉納されてからは山犬がいなくなり、山仕事が楽になりました。そしていつの日か、弘法さんの石像が置かれた場所にはお堂が建てられ、村人は山仕事に行く際には弘法さんに手を合わせてから出かけるようになりました。
所在地 | 〒410-3206 静岡県伊豆市湯ケ島305 |
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電話番号 | ℡0558-85-1056 (伊豆市観光協会天城支部) |
駐車場の有無 | あり(天城会館駐車場をご利用ください) |
参拝時間 | 参拝自由 |