修禅寺に幽閉されていた鎌倉二代将軍・源頼家が非業の死を遂げたことを知った地元の人々によって建てられた笠冠地蔵。
元は月見ヶ丘の中腹にありましたが、昭和36年に道路拡張工事で山の一部が削られたため、修善寺橋の西北のたもとに移されました。
幽閉されていたころの頼家は、修禅寺の山を下り、狩野川のほとりの月見ヶ丘にのぼって月を眺めてその憂さを晴らし、また里の子どもを集め共に遊びながら、鎌倉に残したわが息子・一幡に思いを馳せていたといいます。
23歳の若さで無残に暗殺されたことを知った里の人たちはとても悲しみ、浄財を集めて月見ヶ丘に地蔵を建立しました。
源頼家は、里の子ども達を大変かわいがった将軍であったので『愛童将軍地蔵』と呼ばれています。