登城を記念したアイテムで、全国のお城ブームに一役買っている“御城印”。
山城(やましろ)が点在し、伊豆半島を制するための重要な場所だった伊豆市において、全国の歴史ファン・お城ファンに伊豆市の歴史に触れてもらうきっかけにしようと、(一社)伊豆市産業振興協議会では『大見城』と『狩野城』の御城印の作成を計画しました。
この御城印は、伊豆総合高校の生徒が原案を作成しました。その後、静岡大学の学生や修善寺燕舎様がデザインの仕上げを行ない、地域の皆様のご協賛をいただき完成させたものです。
完成した御城印は、伊豆市観光協会中伊豆支部と伊豆市観光協会天城支部で販売しています。
【発売日】
2023年4月1日(土)~
【販売場所】
・大見城 御城印:伊豆市観光協会中伊豆支部(伊豆市柳瀬252-1)
・狩野城 御城印:伊豆市観光協会天城支部(伊豆市湯ケ島176-2)
【価格】
1枚あたり300円(税込) ※いずれもハガキサイズです。
【制作】
伊豆総合高校、静岡大学
【協賛】
狩野城の会、中伊豆ライオンズクラブ、天城湯ヶ島ライオンズクラブ
【後援】
静岡古城研究会、修善寺燕舎、狩野城ガイドクラブ、伊豆市観光協会中伊豆支部、伊豆市観光協会天城支部
大見城は旧中伊豆町のやや北部、大見川と柳瀬川の合流地点にあって、『城山(じょうやま)』と呼ばれている標高210mの山頂に築かれた戦国時代の山城です。
城が築かれた時代についてははっきりとしていませんが、平安時代末(12世紀頃)と言われています。城を築いたのは、大見平三家政か、その子の大見小藤太成家と推定されています。
現在は「大見城址公園」として整備され、伊豆市の文化財にも指定されています。当時は周辺から攻めてくる敵を見渡せるようにと、山肌には木を植えていませんでした。現在も、本曲輪(くるわ)周辺の木を伐採しているので、当時の様子を想像し散策を楽しむことができます。空気の澄んだ晴れた日には富士山を見られることも。
狩野城は、狩野川と柿木川合流点の南側、標高189mの丘陵上に築かれた山城です。山上には、「本曲輪」を中心に「出曲輪」、「東曲輪」、「西曲輪」、「二重堀」などの遺構が残っており、中世城郭の面影を伝える貴重な史跡として、伊豆市の指定史跡になっています。
この地にゆかりのある狩野(かの)氏は、平安時代後期の11世紀半ばから室町時代後期の15世紀まで、約400年にわたり狩野地区の領主でした。北条早雲が伊豆に攻め込んだときには敵対しましたが、後に狩野城を開城して降伏、小田原に移って後北条氏の家臣団の中枢で活躍しました。
現在はハイキングコースが整備されており、いくつかの曲輪や堀切、土塁など、戦国時代のものと思われる遺構を確認できます。